小さな声(サンプル)と向き合い、社会課題を解決する新たな手法を数理的に創造する
Discover the Research Vol.10 廣瀬 雅代(ひろせ まさよ)
統計学においてサンプルのデータをいかに集めるのかは悩ましい課題で、ときにどのようにしても必要なサンプルサイズが得られないことがある。そこで活用が期待されるのが、“小地域推定“と呼ばれる、対象となる領域だけでなく、その周辺領域のデータまで活用することで数理的精度を高める可能性のある手法である。今回は、統計学でも“小地域推定“について研究する廣瀬先生に、同分野ならではの魅力や今後の展望、学生たちに伝えたいことなどを伺いました。
足りないサンプルサイズでどう精度を高めるのか
まずは先生の研究内容について教えてください
私は数理統計学のなかでも小地域推定というところに携わっています。統計学というのは文系、理系の垣根を超えて、ときには医学の方面にまで、本当にいろいろな応用分野において客観的な科学根拠づくりに欠かせない分野です。すでに世の中にはさまざまな手法が存在していて、幅広い応用分野で活用されているわけですけれど、私としてはまだ発展の余地がある領域だと考えています。
小地域推定というのはどのような分野なのですか
例えば、日本全体ではなく都道府県だとか、市区町村だとかの限られた領域の平均値を知りたいときに、その領域のデータだけでは足りないかもしれない、ということがあるとしましょう。全体としては十分なサンプルサイズだけど、細かく区分けしたとき、ある領域だけどうしてもサンプルサイズが十分でない、という状況です。そのようなときにデータが足りていない領域の情報だけを扱うのではなくて、ほかの領域の情報もうまく取り入れて精度を少しでも上げましょう、というのが最近行われている小地域推定です。もちろん限界はありますが、私はそうした小地域推定という分野においてまだ発展の余地があるという前提のもと、統計的精度を高めたり、現実的な課題を解決したりするにはどういう手法が必要で、数理的にそれがどれくらい解決できるのか、ということを研究しています。
つまり先生は新しい理論づくりをされているわけですね。

はい。私はどちらかというと理論づくり、データ解析の手法を新たに考えるという研究をしています。ただ、応用分野の先生と比べてデータ解析の経験は浅いので、最近は手法をつくるだけでなく、どのように現実の課題に適用させるかというところにまで目を向けようとしています。
例えば、全国の雇用状況や就業状況についてのデータを用いた研究です。先行研究として都道府県別の推定値を算出した研究はすでにあるのですが、それらの多くは各都道府県内のデータしか使われていません。私は全国的なデータから都道府県別、男女別、年齢層別などでどのように違うのか解析してみました。するとどうしてもある領域ではサンプルサイズの不足の懸念があり、もう少し数理的に精度を高めるにはどうしたらいいのか、小地域推定の手法の発展の可能性を含めて研究を進めているところです。
新たな手法を生み出す喜びと広める難しさ
今の分野に魅力を感じている点を教えてください。
数理的な性質そのものもすごく面白いですし、何より自分が生み出した手法が社会に役立つかもしれないところです。以前見たある地域別のマップがすごくきれいに整理されていて、そのマップはひと目でここの地域は気をつけないといけないことがわかるものでした。その体験から信頼性のあるマップとはどのようなものか知ることができ、自分の生み出した理論と現実面でよい手法が研究だけに留まらず、社会に還元される可能性を秘めているところに魅力を感じています。
一方で、理論と応用にはギャップがありまして、優れた手法でも応用分野の先生に受け入れられるまでに時間がかかるのは統計学的研究の難しいところだと思っています。新たに生み出した手法に十分な精度があるのか、既存の手法よりも優れていることを裏づけする必要があります。でも、それを示したからとすぐに応用分野に適用されるとは限りません。「これなら実社会でも使える」と先生方に信用いただかないと、その手法は広まらないわけです。先生方にはこれまで培われてきた経験や価値観があるわけですから、近代の手法だけでなく、古典的な手法まで含めて検証していかなければなりません。
異国で気づいた研究者として諦めない姿勢の大切
これまでの研究で印象に残っているエピソードを教えてください。

私が博士課程の学生のころアメリカで研究していたときでしょうか。はじめのころは全然コミュニケーションが取れなくて大変でした。それでも、信頼関係を築くためには、自分からアイデアや結果を出さないとアメリカでは認めてくれません。現地の先生に「ちょっと議論をさせてください」と結果を提案しに行き、励ましの言葉はいただくものの、先生から「まだ足りない」と指摘される日々……。ようやく少しずつ認めていただけるようになったのは、アメリカに渡って半年ほど経ったころです。「この結果はすごく面白いから、もっと議論していこう」と先生に認められたときは本当に嬉しかったのを覚えています。
最終的には先生と信頼関係を築くことができ、そこから10年ほど共同研究を続けられるまでなりました。信頼関係を築くにはすごく時間がかかりましたが、くじけずに食らいついていったおかげで、最終的には先生に成果が認められるようになったというのは、私のなかで研究者としてとても印象に残っているエピソードです。
アメリカと日本で研究環境の違いはありましたか?

アメリカでは社会課題の解決を数理的視点からも積極的に研究しているように感じています。さらに、その先の研究成果を社会課題にいかに役立てるのか、みたいなところまで考えられているなという印象です。現地の先生もその重要性を何度も私に話してくださいました。
例えば、貧困率。細かい区分で貧困率を可視化することで、はじめて丁寧な政策立案が期待できます。そこでの経験から私は数理統計学がいかに社会に役に立つものなのかを実感したわけです。日本でも将来的にはアメリカのように、社会課題の解決に数理的視点が当たり前に活用されるようになればと思っています。
本質(数理)を理解することで得られるものがある
学生には何を意識して指導されていますか?

普段の授業で応用分野の学生たちにも統計学を教えることもありまして、そこで一番意識しているのは、ソフトウエアに頼り過ぎてはいけないこと、使われている数理の意味を理解しておくことの重要性を伝えるようにしています。
世の中には「ソフトウエアさえ使えればいい」と考えている人が少なからずいるわけですが、私はそうは思いません。ソフトウエアそのものを否定しているわけではなくて、むしろすごく便利なものですので、積極的に活用するのはいいことでしょう。
しかし、結局のところソフトウエアにどのようなデータを投げるのか、結果が返ってきたときその数値をどのように解釈するのかはデータ解析者に委ねられているところです。よりよい科学的根拠を得られるかどうかはデータ解析者の知識、技術ありきなのです。
ソフトウエアを盲目的に信じてはいけないということですね。
はい。何を言いたいかというと、数理について基礎的なことでも理解しておくと、ソフトウエアを活用するときにより安心して使えるようになるよ、と伝えたいわけです。例えば卒論を書くとき学生たちはさまざまな統計手法の手を借りることになるでしょう。その結果を出すのにソフトウエアも使うことになると思います。そのとき盲目的にソフトウエアに頼るのではなく、この部分はこういう意味をもっていて、だからこういう結果が出るのかと、本当の意味でソフトウエアを使いこなせるようになってほしいのです。
すべてを理解するのは大変なので、すぐにできなくてもよいと思っています。ただ、数理を理解しようと努めることが大切で、その過程で養われる論理的思考こそが次の発展につながっていくと思います。普段から「なぜ」と感じて、自分の力で考えられるクセを身につけておけば将来、学生たちが社会に出たとき、さまざまな壁にぶつかったときに必ず役立つはずです。
社会をよりよくするのに役立てられる手法を生み出す
廣瀬先生の今後の展望を教えてください。
まだ力不足ではありますが、将来的には都会だけでなく小さな地域だとか、小さな領域だとかに対応できる精度の高い手法を生み出して、それこそなんらかの政策立案やサービス計画などに反映されるような根拠づくりに携われればなと思っております。
最後に、進路に悩みをもつ学生たちにひと言いただけますか?

数理の世界に男女は関係ないというのを伝えたいですね。今も日本では女性が理系に進むというのは少ない気がしていて、ときにすごく心細くなることもあると思います。私も学生のころは同じ気持ちでした。でも、アメリカに行ってみたら、そこには優秀な女性研究者が当たり前にいて、優秀な女子学生もいます。世界に目を向けたら女性研究者はとくに珍しいものではないわけです。
やりたい道があるのなら、とりあえず足を進めればいいと思います。失敗するのが怖いかもしれませんが、失敗しないように生きるというのは何も経験しないということです。成功もないということです。失敗してしまっても、それは人生の糧になります。
まさに数理は積み重ねですものね。
その通りです。数理は積み重ねの学問ですから、なかなかすぐには成果は現れません。でも、忍耐強く研究していると花開くときが、点と点が結びついて光が見えるときが、これまでの努力が報われるときがあります。それが私はすごく面白くて、数理の醍醐味だなと。きっと人生も同じなのだと思っています。すぐに花開かなくてもいいから、失敗を恐れずに好きなこと、興味があることに挑戦しつづけてほしいなと思います。
廣瀬先生の研究の詳細については、研究者情報をご覧ください。