Research Results 研究成果
ポイント
概要
プラズマローゲンは脳や心臓などに多く含まれるリン脂質の一種で、抗酸化作用や細胞膜の安定化に関与する重要な生体成分です。アルツハイマー型認知症患者ではその減少が報告され、補充療法への期待が高まっています。しかし、これまでプラズマローゲンは主に海産物や動物組織からしか得られず、高コストが課題でした。また、生物学的にも、これまでウエルシュ菌など「酸素を嫌う絶対嫌気性菌※2」にしか存在しないと考えられてきました。
九州大学大学院農学研究院の土居克実教授、同大学院医学研究院の本庄雅則教授らの研究グループは、酸素があっても生存できる通性嫌気性菌(乳酸菌など)でもプラズマローゲンを生産できることを世界で初めて証明しました。さらに、通性嫌気性菌のプラズマローゲン合成酵素(PlsA)は酸素ストレスを回避できる特殊なタンパク質構造を持つことを明らかにし、細菌が酸素環境に適応して進化する過程でプラズマローゲン合成能を獲得した可能性を示しました。
研究グループは、乳酸菌や腸球菌など11株でプラズマローゲンを検出しました。その中でも乳酸菌 Lactococcus cremorisのPlsA遺伝子を大腸菌に導入したところ、大腸菌が酸素のある環境でもプラズマローゲンを合成できるようになり、酸素ストレスおよび高塩濃度環境(浸透圧ストレス※3)に対しても強くなりました。構造解析の結果、このPlsA酵素のC末端には酸化から鉄硫黄クラスター([4Fe-4S])を守るαヘリックス※4構造が存在することがわかりました。これは酸素環境への耐性獲得に重要な構造的進化と考えられます。
本研究は、ヒトの脳の健康に機能するプラズマローゲンが、細菌では酸素に適応して進化する鍵分子であることを初めて示しました。また、食品由来の乳酸菌による摂食や、大腸菌を利用した好気条件下で大量生産できる発酵系を確立したことにより、プラズマローゲンを低コスト・安全に生産できる新しいバイオ技術の基盤となります。今後、認知症予防食品や医薬品、さらには微生物進化研究への応用が期待されます。
本研究成果は米国微生物学会の雑誌「Applied and Environmental Microbiology」に2025年12月22日(月)(日本時間)に掲載されました。
研究者からひとこと
プラズマローゲンが“脳の健康”を守るだけでなく、細菌が酸素環境に適応していく“進化の鍵”でもあることを示せたのは非常に興味深い成果です。微生物の力で、人にも地球にも優しいバイオ産物、特に高齢化社会に貢献できる食品や薬剤の生産を目指します。(土居克実教授)
図1 プラズマローゲン生産性細菌とその合成、プラズマローゲンの機能
用語解説
(※1) プラズマローゲン
微生物から動物に至るまで多くの生物の生体膜を構成する脂質成分として存在し、ヒト体内では総リン脂質の約18%を占めている。哺乳類ではプラズマローゲンが組織特異的に存在し、特に脳や心筋、腎臓、白血球などに豊富に含まれ、抗酸化作用やシグナル伝達、イオン輸送など様々な生理的機能を持つことが知られている。
(※2)嫌気性細菌
生育に酸素を必要としない細菌の総称。嫌気性細菌は、酸素存在下でも生育できる通性嫌気性菌(乳酸菌、大腸菌、腸球菌など)と、大気レベルの濃度の酸素に暴露することによって死滅してしまう偏性嫌気性菌(ビフィズス菌、ウエルシュ菌など)に分類される。
(※3) 浸透圧ストレス
細胞の周囲の浸透圧が急激に変化することによって、細胞内外の水の移動が起こり、細胞の機能が妨げられるストレスを指す。高浸透圧の場合は細胞から水分が失われて収縮し、低浸透圧の場合は水分が細胞に入りすぎて膨張するなど、両方向のストレスがあり、このストレスに対応するため、細胞は浸透圧を調節する機構を持っている。
(※4) αヘリックス
一定の長さのアミノ酸の並びの特徴によって一本のポリペプチド鎖が規則正しく右巻きの螺旋状に緊密に巻いた構造。
論文情報
掲載誌:Applied and Environmental Microbiology
タイトル:Characterization of plasmalogen production in facultative anaerobic bacteria and aerobic synthesis in recombinant Escherichia coli expressing anaerobic bacteria-derived plasmalogen synthase genes
著者名:Rei Irimajiri, Meimi Kuwabara, Yohei Ishibashi, Sakurako Ano, Yasuhiro Fujino, Masanori Honsho, Katsuya Fukami, Shiro Mawatari, Takehiko Fujino, Katsumi Doi
DOI:10.1128/aem.00940-25
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