Research Results 研究成果
ポイント
概要
九州大学大学院経済学研究院の加河茂美主幹教授、山形大学人文社会科学部の時任翔平准教授、九州大学大学院経済学研究院の藤井秀道教授、尾道市立大学経済情報学部の岡本隼輔准教授、近畿大学経済学部の永島史弥准教授から成る研究グループは、北米自由貿易協定(NAFTA、現:米国・メキシコ・カナダ協定)により形成された国際サプライチェーンの変化が、有害化学物質による環境汚染の地域分布にどのような影響を及ぼしてきたのかを実証的に明らかにしました。
本研究では、米国、カナダ、メキシコの3か国を対象に、2006年から2014年に排出された598種類の有害化学物質を分析し、自由貿易の進展が汚染をどの国に集中させたのかを定量的に評価しました。近年、製品の生産は複数国にまたがるサプライチェーンによって行われることが一般的となっています。その結果、最終的に製品を消費する国と、実際に汚染が発生する国とが一致しないという問題が生じています。そこで本研究では、各国の化学物質排出登録制度(PRTR)と世界規模の産業連関表を統合し、国際貿易を通じて誘発される有害化学物質排出を包括的に把握しました。分析には、新たに開発した「空間的構造分解分析(SDA)」を用い、排出量の変化を「排出強度の変化」「生産技術の変化」「最終需要の変化」「国際貿易構造の変化」といった要因に分解しました。これにより、特にNAFTA域内における二国間貿易構造が汚染に果たした役割を詳細に検証しました。
その結果、米国とメキシコ間の中間財貿易構造の変化が、メキシコ国内の有害化学物質排出を大きく押し上げていることが明らかになりました。2014年には、こうした貿易構造の変化による排出移転が、メキシコの有害化学物質排出全体の約2.8%を占めていました。特に、米国の最終消費が製造方法の古いメキシコの製紙産業を通じて水銀排出を増加させるなど、具体的な汚染誘発サプライチェーン経路が特定されました(表1)。
一方、米国では、規制強化や技術改善により国内の有害化学物質排出が減少しており、その削減効果が国境を越えた生産移転によって部分的に相殺されている実態も示されました。これは、環境規制の厳しい国での排出削減が、規制の比較的緩やかな国への汚染移転につながる可能性を示唆しています。
本研究の成果は、自由貿易が経済的利益をもたらす一方で、環境負荷を「見えにくい形」で他国に押し付けるリスクがあることを明確に示しています。今後は、国境を越えたサプライチェーン全体を対象とする有害化学物質管理や、北米環境協力協定(NAAEC)を通じた域内協調の強化、さらには消費国側の責任を踏まえた政策設計が不可欠であることを、本研究は強く示唆しています。
なお、本研究は科学研究費助成事業・基盤研究(A)(課題番号:26241031、20H00081)の支援を受けて実施されました。本研究成果は、2026年 2月10日(火)に学術誌 Structural Change and Economic Dynamics(2024年インパクトファクター:5.5)に掲載されました。
本研究グループからひとこと
この論文原稿の履歴を振り返りますと、2021年5月27日にドラフトの初稿が保存されており、その後、投稿と修正を何度も繰り返した結果、最初の投稿から論文のアクセプトに至るまでに約4年7か月を要しました。背景として、取り扱った有害化学物質データは、そもそも公表されていない場合があるほか、対象物質の範囲が国によって異なり、さらに定期的な見直しや更新が行われているなど、取り扱いが極めて難しいという特性があります。このような事情から、本研究はレビュワーから厳しい視点で評価を受けざるを得なかったものと推察されます。本論文が、有害化学物質の環境経済分析の発展に新たな道を開くことを期待します。
表1の解説
表1は、2006~2014年におけるNAFTA域内の有害化学物質排出移転の変化に大きく寄与したサプライチェーン経路と、その経路別排出変化量を示している。特に、米国の最終需要が、どのような生産段階および産業連関を通じてカナダ国内、メキシコ国内の排出を誘発しているのかを明らかにしている点に特徴がある。分析の結果、「米国の最終需要 → 米国の中間財生産 → カナダ国内産業活動」および「米国の最終需要 → メキシコ国内産業活動」というサプライチェーン経路を通じて、有害化学物質排出が集中的に誘発されていることが示された。具体的には、米国向け製品の生産過程で用いられる中間財需要の増加が、カナダの鉱業・採石業やメキシコの製紙産業に波及し、これらの産業を起点とする排出量の増加に大きく寄与している。例えば、「米国の最終消費 → カナダの鉱業・採石業 → 銅排出」や「米国の最終消費 → メキシコの製紙産業 → 水銀排出」といった明確なサプライチェーン経路が特定されており、単純な国別排出量の比較では捉えられない需要起点型の汚染誘発構造が可視化されている。これは、最終需要国と排出発生国が空間的に乖離していることを示す典型的な例である。これらの結果は、NAFTA域内の自由貿易が有害化学物質排出を削減したというよりも、排出が発生する「場所」および「産業」をサプライチェーン経路の再編を通じて移転させた可能性を示唆している。このように、表1は、特定の国・産業に汚染が集中する背景にある具体的なサプライチェーン経路を定量的に示しており、NAFTA域内の消費国責任や域内環境政策に関する議論に対して重要な実証的根拠を提供している。
論文情報
掲載誌:Structural Change and Economic Dynamics
タイトル:Emission Transfers of Toxic Chemical Pollutants among NAFTA Countries: A Structural Change Approach
著者名:Shigemi Kagawa, Shohei Tokito, Hidemichi Fujii, Shunsuke Okamoto, and Fumiya Nagashima
DOI:10.1016/j.strueco.2026.01.017
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