Research Results 研究成果
従来から、五感を介した刺激の豊かな環境は、子供の脳の発達や高齢者の脳機能の維持に重要である可能性が指摘されてきました。このたび、九州大学医学研究院の神野尚三教授と山田純講師の研究グループは、神戸薬科大学の北川裕之教授、愛知医科大学の武内恒成教授らと共同で、軟骨の成分として知られ、神経系の発達や再生への関与で注目されているコンドロイチン硫酸が、環境刺激によって発達後の海馬で神経細胞 (ニューロン) が新たに生み出される際の鍵となる役割を担っていることを世界に先駆けて発見しました。
認知と情動の中枢である海馬では、脳の大部分の領域とは異なり、発達後もニューロンが生み出されています (成体海馬神経新生現象)。新生ニューロンと呼ばれるそれらのニューロンは、記憶や学習、気分の調節などに大変重要な役割を果たしていることが近年分かってきました。興味深いことに、回し車やおもちゃなどを加えた刺激の多いケージ (豊かな環境) で飼育された動物の海馬では新生ニューロンが増加し、ストレス環境下の動物では新生ニューロンが減少することが報告されていますが、その仕組みについては多くの謎が残されていました。研究グループは、海馬におけるコンドロイチン硫酸の発現量が環境要因によって増減することに着目し、成体海馬神経新生現象との関連を検討しました。その結果、コンドロイチン硫酸を人工的に分解すると、新生ニューロンが減少し、記憶・学習能力の低下が起こることが分かりました。さらに、豊かな環境で飼育した野生型マウスではコンドロイチン硫酸と新生ニューロンが増加し、記憶・学習能力の向上が認められたのに対し、コンドロイチン硫酸の合成に必要な酵素の一部を欠損させた遺伝子改変マウスでは、豊かな飼育環境下でもコンドロイチン硫酸が増加せず、新生ニューロンの増加と記憶・学習能力の向上も起こりませんでした。これらの結果は、“豊かな環境”が脳に“効く (記憶・学習能力が向上する)”際の鍵としての役割をコンドロイチン硫酸が担っていることを示唆しています。将来、適切な環境刺激やコンドロイチン硫酸の発現調節によって成体海馬神経新生現象を制御することが可能になれば、脳と心の疾患に対する新しい治療法の開発につながることも期待されます。本研究成果は、米国東部時間2018年9月26日午後5時 (日本時間2018年9月27日午前6時) に米国神経科学学会誌 『The Journal of Neuroscience』に掲載されました。
回し車やおもちゃなどを加えた刺激が多い“豊かな環境”でマウスを飼育すると、海馬におけるコンドロイチン硫酸の合成が促進され、新生ニューロンが増加し、記憶・学習能力が向上する。
ストレスや不安、加齢などが脳に与える負の影響については、多くの研究があります。一方で、脳に良いとされる環境や習慣の作用についての科学的検証は進んでいません。今後の我々の研究によって、脳と心の健康が維持される仕組みを解き明かしたいと考えています。