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弥生時代から、80年前の戦争まで。声なきモノに耳をすませ次世代に真実をつなげる

Discover the Research Vol.14 比較社会文化研究院 田尻 義了(たじり よしのり)

ここ福岡は、かつて大陸から最先端技術が伝わった日本の玄関口。日本の歴史の転換点となってきたこの地で、2000年前の青銅器の生産技術と80年前に起きた戦争の遺跡という2つの時間に向き合う研究者がいる。今回は、最新デジタル技術や他分野の知見を融合させることで、時を超えてモノの声に耳をすませる比較社会文化研究院の田尻先生に、考古学の面白さと、フィールドワークを通じて次世代に託したい想いを伺いました。

弥生時代のハイテク製品・青銅器がもつ社会的意味をひもとく

先生の研究内容について教えていただけますか?

私の専門は考古学でして現在、大きく2つの研究テーマに取り組んでいます。一つ目は、弥生時代の青銅器生産体制に関する研究です。私たちが今こうして学び、研究しているこの九州・福岡の地というのは、弥生時代に朝鮮半島から日本列島に初めて金属器が伝わった場所とされます。当時の人々にとって、大陸から伝来した青銅器は、それまで見たこともないような最先端のハイテク製品でした。

その後、私たちがいる福岡から金属生産のテクノロジーは発展し、日本列島全体へと広がっていきます。つまり青銅器は単なる道具ではなく、弥生時代の中で大きな意味をもち、社会を変化させる原動力になったわけです。私はその青銅器がいかなる技術で作られたのか、また社会の中でどのように活用されたのかという謎の解明に取り組んでいます。

ここ伊都キャンパスにも多くの遺跡があると伺いました。

伊都キャンパス石ケ原古墳跡展望展示室にて

そうです。ここ伊都キャンパスには、多くの遺跡が眠っています。今、私たちがいるこの石ケ原古墳跡展望展示室という場所にも前方後円墳があったんですよ。キャンパスの造成にあたり保存が難しく、古墳そのものは壊さざるを得なかったのですが、本来古墳があった地とほぼ同じ高さ、同じ位置にこの施設が作られました。「もし古墳の上に立っていたら、周りにはこんな風景が見えていたんだ」と体感してもらうことを意図しています。

※九州大学伊都キャンパスの敷地内にある古墳の発掘調査の様子はこちら

先生のもうひとつの研究テーマというのは何なのでしょうか?

もうひとつは戦跡考古学です。今年は戦後80年という節目の年ですね。80年前の戦争は日本の社会を大きく変え、現代の私たちの生活にも直接つながっています。しかし、戦争が終わって80年がたち、当時のことを直接知っている方々は少なくなっています。かつてであれば戦争を体験した方々がいらっしゃって、直接話を聞くことができました。もちろん、つらい記憶だから話したくないという方もいらっしゃったかもしれませんが、少なくとも証言者がそこにいらしたわけです。それが今では、体験された方々がいなくなりつつあり、これからも減少していく一方です。そうした状況の中で、私たちは改めて「あの戦争とは一体何だったのか」を考え、知らなければなりません。証言者がいなくなった時、何が事実を語るのか。それがモノ、つまり戦争遺跡(戦跡)なのです。

戦跡と言いますと、軍事施設などを調査されているのですか?

はい。残念ながら旧日本軍は終戦時に多くの書類を焼却したり、廃棄したりしており、公的な記録類があまり残っていないのが現状です。だからこそ、実際そこで何があったのか、どういうことが行われていたのかを知るためには、まさに考古学の手法で軍事施設など調査をしていくしかありません。出土したものや遺構の状況から「ここでは実際にこういう活動が行われていたんだ」と読み解いていくわけです。現在は、山口県下関市や北海道厚岸町など複数の自治体と協力して戦争遺跡を調査しています。

80年前とはいえ、管理されなくなった施設は危険ではないですか?

その通りです。80年経過した戦争遺跡、特に地下壕などは風化が激しく、そのまま中に入るのは崩落のリスクがあり大変危険です。そこで、3Dスキャンを用いて調査しています。現地でのスキャンは短時間で済みますから、調査の安全を確保しつつ、詳細なデータを取ることができます。データを研究室に持ち帰れば、あとはパソコンの画面上で自由にサイズを計測したり、どこがどういう構造になっているかを断面図にしてみたりと、あらゆる角度から分析が可能です。さらに、データ化したことによって、3Dプリンターで模型を打ち出すこともできるようになりました。こうして、消えゆく戦争遺跡をデジタル化し、客観的な記録として未来へ継承していくことも進めています。

発掘した者の「責任」と、壕の中で聴いた「生」の声

これまでの研究で印象に残っているエピソードを教えてください。

飯倉D遺跡調査

大きく2つのエピソードがあります。どちらも私の研究の原点と言える体験でした。まずは、弥生時代の青銅器研究に関わることです。学生時代からいろいろな場所の発掘調査に参加させていただいていまして、そのひとつが福岡市早良区にある飯倉D遺跡の調査でした。弥生時代の集落遺跡で、「君はこの住居跡を担当しなさい」と任されたのです。泥にまみれながら掘り進めていると、土の中から「なんだこれは?」という不思議なモノが出てきました。よく見ると人工的な溝が彫られており、それは弥生時代の青銅器を作るための鋳型(いがた)、つまり型だったのです。しかも、ただの鋳型ではなく、鏡を作るための鋳型でした。当時、鏡の鋳型は日本全国でもまだ3例しか見つかっておらず、福岡市内では初めて(全国では4例目)の大発見でした。

福岡市内で初(全国で4例目)、というのはすごい発見ですね!

ええ。市内初出土ということでマスコミにも大きく取り上げられました。その時、当時の指導教員からこう言われたんです。「君、責任を取りなさい」と。なるほど、それなら責任を取らなきゃいけないな、と覚悟を決めたできごとでした(笑)。

もうひとつの印象に残っているエピソードも教えてください。

南風原病院壕20号 遺物集中(南風原町教育委員会2000『南風原陸軍病院壕群Ⅰ』より)

もうひとつは、先ほどの戦争遺跡につながる話です。私は学部時代を沖縄で過ごしていまして、そこでひめゆり学徒隊の方々が活動していた場所(沖縄陸軍病院南風原壕)を調査する機会がありました。たくさんの医療関係品が出土しました。ひめゆり学徒隊は少女たちが看護補助として動員された組織です。彼女たちは病院とは名ばかりの手掘りの洞窟、いわゆる壕(ごう)の中の暗くて狭い場所で活動していました。出土品から分かることには限界もありましたので、当時はまだひめゆり学徒隊の生き残りの方がご存命でしたので、実際に壕の中でお話を伺いました。

それは本当に強烈な体験で、戦争というものが生々しい現実として迫ってきた瞬間でした。その時、強く思ったのです。これから考古学をやっていく者として、こういう事実を記録しつづけていかなければならないと。体験者がいなくなった後、その場所で何があったかを語れるのは、残されたモノと、それを読み解く私たち考古学者しかいないのです。

教室を飛び出し、現場の空気から「問い」を見つける

学生を指導されるうえで意識されていることを教えてください。

フィールドワークの様子(山口県下関市蓋井島での調査)

学生たちには現場での体験を何より重視するように伝えています。私自身、いろいろな形でフィールドに出て、予期せぬ発見や出会いを経験してきました。教室での講義ももちろん大切ですが、それはあくまで下準備です。できるだけ外へ行こう、と学生には言っています。調査の機会があれば一緒に連れて行きますし、他大学が調査している現場への見学も積極的に行っています。教科書には載っていない現場の空気や土の感触、地域の人との会話の中にこそ、本当の学びがあるからです。そこでいかに敏感になれるか、疑問を持てるかどうかが研究者としても、社会人としても重要だと思っています。

将来的にはどのような人材に育ってほしいですか?

九州大学の学生はとても優秀で、将来は社会のリーダーになっていく人たちだと思っています。だからこそ机上の空論ではなく、現場で何が起きているかを知っている、知ろうとできるリーダーになってほしいです。考古学の道に進むかどうかに関わらず、企業に就職しようが、公務員になろうが、これから進んでいく社会の中で「まずは現場で起きていることに目をむける」という姿勢を持ちつづけてほしいですね。

地域社会と連携し、新たな「知」の拠点を創出する

先生の今後の展望を教えてください。

北海道での調査(厚岸町大黒島での調査)

まずは、ライフワークである九州地域の弥生時代の遺跡の研究をつづけていきたいです。実は今年も新たな資料が出土しまして、「これはなんだ?」と頭を悩ませています。毎年のように今まで想定していなかったようなモノが出てくるので、本当にこの九州の地というのは楽しみが尽きないフィールドですね。

また、戦争遺跡に関しては、現在進めている北海道でのプロジェクトを深めていきたいです。一般的に日本での戦争というと、沖縄や鹿児島など南をイメージされがちです。北海道の方々にとっても同じで、戦争は遠い場所での出来事だという感覚が少なからずあるようです。しかし実際には、北海道にも軍事施設がたくさん作られました。地元のことに関心が薄れがちな中で、私たちのような北海道の「外」の人間が調査に行くことで、「自分たちの街にも重要な歴史があるんだ」と気づいてもらうきっかけになればと思っています。

地域連携という点では、うきは市ともプロジェクトを進められていると伺いました。

ええ。うきは市とは私が関わる共創学部と連携協定を結びました。うきは市は大変魅力的な地域ですが、大学がないため若者が街から出ていってしまうという課題があります。そこで私は、うきは市を「共創学部の第2のキャンパス」にできないかなと考えました。

市内には空き家がたくさんありますから、改修して教室や寮にする。学生たちが泊まり込んで、地元の人たちと一緒に語り学んで、地域の課題に取り組む。サテライトキャンパスのような拠点を作ってみたいです。何でしたらそこで共創学部の入学式をやってもいいじゃないか、くらいに思っています。大学と地域がともに育つような仕掛けをいろいろと仕込んでいるところです。

九大キャンパスに眠る古墳を調査!古墳まで延びるネイチャートレイルの整備を目指して

田尻先生の研究の詳細については、研究者情報をご覧ください。