「生きる」を支える、心と身体の対話。現場の熱を研究と教育へつなぐ
Discover the Research Vol.15 人間環境学研究院 野村 れいか(のむら れいか)
病院や被災地など、命の重みが交差する現場に立ちつづけてきた野村れいか先生。自らのケガや家族の闘病という原体験を通して、「臨床・研究・教育」を地続きの営みとして実践しています。日本発の心理療法「臨床動作法」を通じた心身へのアプローチ、未来の心理職に託す想い、誠実な支援のあり方についてお話を伺いました。
臨床と研究は、地続きのひとつの営み
まず、先生の研究内容について教えてください。
九州大学の伊都キャンパスには総合臨床心理センターという施設があり、大学の研究施設であると同時に、地域の方が実際に相談に訪れられる窓口です。総合臨床心理センターには日々、不登校や友人関係で悩むお子さん、発達障害(ASDやADHDなど)の特性をもつ方、そして脳性麻痺などの肢体不自由(身体障害)を抱える方など、多様な背景をもつクライエントが来られます。大人の場合は対話を通じて悩みを見つめ直すこともできますが、子どもたちや言葉での表現が難しい方の場合には、おもちゃを使った「遊び」や、体を動かす「動作」を通して交流することもあります。
例えば、身体に麻痺がある方と一緒にどうすればもっと楽に腕を動かせるかを探っていく。あるいは、遊びの中で子どもたちが感情を発散していく過程を支える。こうした日々の関わりが「臨床」です。そして、その関わりの中で「どうすればこの人がもっと自分らしく生きられるようになるか」という問いのもと、データを蓄積し、よりよい支援の形を検討していくのが「研究」です。このように現場で一人ひとりのクライエントと向き合うこと、学問として探究することは、私の中では切り離せない一連の活動なのです。
「ベッドサイドで話を聞く仕事」との出会い
なぜ、心理士という道に進もうと思われたのでしょうか?

実は私、高校時代は心理学にまったく興味がありませんでした。当時は「とにかくドイツに行きたい!」と思っていまして。それも、好きだったアイドルが「ドイツに行きたい」と言っていたからという、今思えば本当にお花畑のような動機です(笑)。
転機は、部活動でバスケットボールをしている最中のケガでした。靱帯を切って整形外科に入院したのですが、6人部屋で私以外は全員おばあちゃんだったんです。若い私がしゃべり相手になって、入院生活自体はとてもにぎやかで楽しかったのを覚えています。でも、いざ退院して外に出たとき、抜けるような青空を見たら、なぜか涙があふれてきました。
たかだか10日ほどの入院でしたが、自分がどれほど不自由な環境にいたのかを自覚したんですね。と同時に、「あの病室に残ったおばあちゃんたちの話は、これから誰が聞くんだろう?」という思いが湧いてきました。私がいなくなると、おばあちゃんたちの部屋はまたシーンとしてしまう……。それから、病室のベッドサイドで話を聞く、そんな仕事はないのかと探しはじめ、方向転換したのが心理士としての私のはじまりです。
実際に病院の現場に立たれて、葛藤などはありましたか?
大学院を終えてすぐのころは、総合病院の血液内科で働いていました。まさに念願の「ベッドサイドで話を聞く」仕事です。でも、現実はそう甘いものではありませんでした。そこには骨髄移植を待つ患者さんや、懸命に生きようとしてもかなわず亡くなっていく方々がいて……。「自分は医療行為ができるわけでもない。ただ話を聞くことに何の意味があるんだろう」と、専門職としての無力感に苛まれることが多かったです。
しかし数年後、私の父が白血病になって、私が勤めていた病院に転院させたときのことです。今度は自分が「家族」という立場で、話を聞いてもらう体験をしました。その時、初めて気づいたのです。「ただ、話を聞いてもらえるだけで、こんなに救われるんだ」と。家族として苦しい決断を迫られるとき、その不安を誰かがただ受け止めてくれる。何かが解決するわけではなくても、話を聞いてもらうことがどれほど「生きる力」になるのか。当事者の家族になったことで、心理支援の真価を実感できました。
震災、そして「立ち直る人の力」
災害支援にも長年携わってこられたと伺いました。
はい。東日本大震災の発生後、2011年3月22日に岩手県に入りました。当時は沖縄にいましたので、福岡まで飛行機で飛び、そこから24時間車を走らせて現地に向かいました。そこで目にしたのは、想像を絶する津波の爪痕と、壊滅した街の景色です。
避難所をまわり、多くの方の話を聞いてきました。そこで感じたのは、どれほど過酷な状況にあっても人は立ち直っていくことができるという、人の心がもつ「力」のすごさです。震災から15年が経とうとしていますが、今も1年に1回は現地を訪れています。街はかつての形を取り戻そうとしていても、今なお「心の復興」の途上にいる方々がいます。その方々に寄り添いつづけることは、これからも私の重要なテーマのひとつです。
また、支援の現場で出会った方から「私たち(被災地支援者)がここに来てくれくれている間、それぞれの職場で留守を守ってくださっている職員の皆さんへ」という内容の手紙をいただいたことがあります。私たちが被災地で活動できている背後には、留守を守って働いてくれている職場の仲間たちがいる。被災して大変な状況にある現地の方々が、そこまで目を向けて感謝してくださったわけです。支援とは一方的なものではなくて、多くの人の繋がりの上で成り立っているのだと、逆にこちらが教えられた経験でした。
学生に伝えたい「専門家としての謙虚さ」
どのようなことを意識して学生たちに指導されていますか?
私が一番大切にしているのは「簡単にわかったつもりにならないこと」です。これは私の恩師の教えでもあります。人の心は完全には分かり得ない、とても複雑なものです。専門的な知識を身に着けると、どうしても覚えた知識や理論に当てはめて「ああ、これはこういうケースだね」と納得してしまいがちです。でも、人の心というのは理論にそう当てはまるものでないのです。「いつまでも謙虚に、好奇心を持ち、関わりつづけること」これを常々学生には伝えています。
学生たちにはどのような心理士に育ってほしいですか?

必ずしも私のようなスタイルを目指す必要はありません。心理士にも色々なタイプがいていい。私のようにとっ散らかって動きながら考える人もいれば、慎重に一歩ずつ積み上げていくのが得意な人もいます。相談に来られるクライエントの悩み、抱えている背景も千差万別ですから、支援する側も多様であって良いと思うのです。
また、心理士もひとりの人間です。湧き上がってくる感情に「いい・悪い」はありません。「苦手だな」と思ったり、「イライラする」と思ったりしてもいい。大事なのは、その感情を否定するのではなく、なぜ自分がそう感じたのかを率直に認めて振り返ることです。
そして、学生たちにはぜひ「学びつづける姿勢」をもってほしいです。例えばコロナ禍の期間では、それまで普及していなかったオンラインカウンセリングが急速に広まりました。これによって、これまで離島や遠方にいて支援を受けられなかった人たちにも、支援の手が届くようになってきています。時代とともに社会の課題や支援の形は変わります。その変化を面白がりながら、知的好奇心をもって研鑽を積んでいってほしいですね。
「心と身体の対話」臨床動作法のアプローチ
先生が実践されている「臨床動作法」とはどのようなものなのですか?
臨床動作法は、九州大学の名誉教授である成瀬悟策先生が開発された、日本発の心理療法です。成瀬先生はもともと、脳性麻痺などの肢体不自由(身体障害)を抱えるお子さんたちが、どうすれば自分の身体をよりよく動かせるようになるか、という「動作訓練」からこの手法をはじめられました。それが発展し、現在は心の健康支援にも活用されています。
特徴は「言葉」だけでなく「身体動作」を通したやり取りを重視する点にあります。例えば、強い不安や緊張を抱えている人に「リラックスしてください」と言っても、本人はどこに力が入っているのか自覚がないことがほとんどです。そこで、あえて肩をグッと上げてもらうなどの「動作」を一緒に行います。意識的に力を入れたり弛めたりを繰り返すなかで、心身の緊張をコントールできるようになることを試みます。
「自分の身体を自分の思い通りに動かしている」という感覚、つまり、自己統制感を取り戻すことが、心の安定や回復に繋がっていく。このアプローチは、言葉での表現が難しいお子さんや、身体的な不自由を持つ方、さらには地域の高齢者の健康支援としても有効です。
沖縄、そして地域へ。これからの展望
今後の展望について教えてください。
現在、2つの大きな柱を考えています。ひとつはこの「臨床動作法」をセンターの中だけに留まらず、地域へと届けていくことです。今年から、同センターの古賀聡先生たちと一緒に寄附プロジェクトを立ち上げました。学生たちとともに、糸島などの地域に出向いて、心と身体を元気にする臨床動作法を広める活動をはじめているところです。
もうひとつは、私の出身地である沖縄への恩返しです。沖縄には10代の出産率や離婚率が高かったり、貧困や虐待といった根深い課題を抱えていたりする現状があります。現在は、沖縄の支援者の方々のスーパーバイズや事例検討などを通じてほそぼそとつながっている状況です。それを将来的には沖縄の地域社会をより豊かに、元気にするための仕組み作りを、心理臨床の立場から具体化していけたらいいなと考えています。
野村先生の研究の詳細については、研究者情報をご覧ください。