Research Results 研究成果
ポイント
概要
DHAやEPAに代表される高度(多価)不飽和脂肪酸(PUFA)は、ヒトの健康に寄与する有用脂質です。PUFAは、分子を構成する炭素の数や不飽和結合の数・位置に応じて、異なる機能を発揮すると考えられています。ラビリンチュラ類はPUFAを生合成し、高レベルで蓄積する海洋真核微生物です。私たちは、その一属であるParietichytrium属が、パルミチン酸(炭素鎖数16の飽和脂肪酸)から複数の脂肪酸伸長酵素と不飽和化酵素の反応によって、最終産物としてDHA(炭素数22、不飽和結合数6)を合成する経路を完備することを報告しています(2021年プレスリリース)。
今回、九州大学 大学院農学研究院の石橋洋平 助教、沖野 望 教授、伊東 信 名誉教授、生物資源環境科学府の谷村龍治氏および安宅祐輔氏(大学院生、研究当時)、熊谷尭敏 大学院生の研究グループは、甲南大学 理工学部 本多大輔 教授との共同研究により、ラビリンチュラ類に対して外来DNA不使用のゲノム編集技術※4が適用できることを世界で初めて実証しました。本研究では、先行研究で使用した抗生物質耐性遺伝子を一切用いることなく、Parietichytrium属のPUFA合成経路を改変することで、炭素数や不飽和結合の数が異なる様々なPUFAを『作り分け』※5可能なシステムを構築しました。現在、DHAやEPAの主な供給源は天然海産魚に由来する魚油ですが、漁獲量の低下、気候変動の懸念、世界的なPUFA需要の高まりなどを背景に、より安定的かつ安心・安全な代替供給源の確立が求められています。本研究は、天然資源に依存しない持続可能なPUFAの産業生産の実現に貢献することが期待されます。また、単に既存システムの代替にとどまらず、魚油などの天然資源にはほとんど含まれない『希少PUFA』の生産も可能となりました。これら希少PUFAは、これまで見逃されていた有益な機能を秘めている可能性があります。今後は、これら希少PUFAの機能解明や有用性の検証にも挑戦したいと考えています。また、本論文で用いた外来DNA不使用のゲノム編集技術は、Parietichytrium属だけでなく、Aurantiochytrium属など既に産業利用が進んでいる他属のラビリンチュラ類に対しても適用可能であることも確認しました。有用脂質の安定的供給源として注目されるラビリンチュラ類の可能性をさらに拡げる品種改良技術として、幅広い利用が期待されます。
本研究成果はElsevier刊行の『Chemical Engineering Journal』に2025年11月28日(金)(日本時間)にオンライン掲載されました。
本研究グループからひとこと
私たちは2021年にラビリンチュラ類のParietichytrium 属がPUFA合成に関わるすべての脂肪酸伸長酵素および不飽和化酵素の遺伝子を備えていることを報告しました。今回の成果は、当時から構想していたゲノム編集による代謝経路改変を実現したものです。構築した手法や得られたゲノム編集株は、ラビリンチュラ類の研究の発展に貢献し、将来的な応用にもつながると期待しています。
図1 本研究成果の概要
用語解説
※1 高度(多価)不飽和脂肪酸(PUFA)
1つのメチレン基で区切られたシス配置の不飽和結合を2つ以上持つ脂肪酸(図1)。炭素鎖20(C20)以上のPUFAはLong chain-PUFA(LC-PUFA)と呼ばれ、本研究は主にLC-PUFAを対象としている。PUFAはメチル末端の不飽和結合の位置に基づいて、n-3系またはn-6系のいずれかに分類される(図1)。炭素鎖の数、不飽和結合の数と位置に応じて異なる機能を発揮すると考えられている。ドコサヘキサエン酸(DHA、C22:6)とエイコサペンタエン酸(EPA、C20:5n-3)は、サプリメントや医薬品として使用される有益なn-3系PUFAとして知られている。
※2 ラビリンチュラ類
PUFAを合成し、油滴に高レベルで蓄積する海洋真核微生物で、系統的には珪藻やコンブが含まれる褐藻などの黄色藻類と近縁その一属であるオーランチオキトリウム(Aurantiochytrium属、シゾキトリウム Schizochytriumという属名が使われることもある)の産業利用が進んでいる。ラビリンチュラ類はPUFAを合成するが、その経路には異なる3つのタイプがあり、①ポリケチド様酵素複合体・PUFA合成酵素を用いて前駆物質から直接DHAを合成するタイプ、②鎖長伸長酵素(ELO)と不飽和化酵素(DES)を段階的に用いて、炭素鎖や不飽和度が異なる各種脂肪酸を経由してDHAを合成するタイプ(図1)、③その両方の経路を使うタイプの3タイプが見出されている(2021年プレスリリース)。本研究では、①の経路をもつAurantiochytrium属、②の経路をもつParietichytrium属、③の経路をもつThraustochytrium属、異なる3属において外来DNAフリーのゲノム編集が可能であることを示した。
※3 希少PUFA
本研究では、DHAやEPAのように魚油などの天然資源に豊富に含まれるPUFAとは異なり、天然資源中にごく少量しか存在しない、あるいはほとんど含まれないPUFAを「希少PUFA」と定義した。具体例として、Δ5DES遺伝子を欠損させた株で生成されるETA、Δ4DES欠損株で得られるDTAやn-3DPAなどが挙げられる(図1)。さらに本論文では、Δ5DES欠損株において、通常なら不飽和化が起こる箇所がそのまま残り、後続の反応が進むことで、非メチレン介在型PUFA(NMI-PUFA)が合成されることも明らかにしている(図1)。これらの希少PUFA、NMI-PUFAは、DHAやEPAとは異なる機能や有用性を持つ可能性がある。その機能の解明には、モデル生物を用いた検証に十分な量の希少PUFAが必要であるが、天然資源に含まれる量が少ないため調達が困難である。本研究で報告したゲノム編集株を用いることで、これらの希少PUFAを安定的かつ必要量生産できるため、その機能を検証する研究の推進に貢献することが期待される。
※4 ゲノム編集技術
生物のDNA配列を狙った場所で改変する技術の総称。代表的な手法に「CRISPR-Cas9」があり、本研究でも本法を利用している。高精度・高効率で特定の遺伝子を切断・修正することで、農作物や水産資源、産業微生物などの品種改良に幅広く活用されている。本研究では外来DNAを用いないゲノム編集として、RNP(Ribonucleoprotein)のみを用いる方法の検討を行った。具体的には、Cas9タンパク質とガイドRNA(crRNA+tracrRNA)を組み合わせたRNPを調製し、エレクトロポレーション法により直接細胞に送達し、標的遺伝子が改変された株を選出した。この方法では抗生物質耐性遺伝子などの外来DNAを使用しないため、対象生物のゲノムDNAへの外来DNAの挿入(=遺伝子組換え)を回避可能である。また、従来の遺伝子組換え技術で課題となる選択マーカーの数的制限や、選択マーカーを再利用するための追加操作が不要である点も大きな利点となる。さらに、RNPは細胞内で速やかに分解されるため、Cas9の持続的な発現によるオフターゲット(=標的ではない遺伝子が誤って改変)効果を低減することも期待できる。実際、本研究で樹立したゲノム編集株は増殖やPUFAの生産・蓄積能力の低下は認められず、PUFA生産微生物として問題となるオフターゲットは起こらなかったと考えている。
※5 PUFAの作り分け
Aurantiochytrium属のラビリンチュラ類は増殖も速く、PUFAの生産・蓄積能力も高いため、産業利用が進んでいるが、PUFAの種類としてはPUFA合成酵素の産物であるDHAとn-6系のドコサペンタエン酸 (n-6DPA)に限定される。一方、Parietichytrium属は炭素鎖長や不飽和度の異なる様々な脂肪酸を経由してDHAへと変換されるため、経路における特定の酵素遺伝子を欠損させることで、そのステップよりも上流のPUFAで留めることが可能である(図1)。本研究ではゲノム編集によって、Δ4不飽和化酵素 (Δ4DES)を標的とし、DHAの代わりにn-3DPA、n-6DPAの代わりにドコサテトラエン酸 (DTA)を主要なPUFAとして合成する株(Δ4DES KO株)を作出した(図1)。同様に、C20鎖長伸長酵素 (C20ELO)を欠損させることでEPAやアラキドン酸 (ARA)を生産する株 (C20ELO KO株)、Δ5不飽和化酵素 (Δ5DES)を欠損させエイコサテトラエン酸(ETA)およびジホモγリノレン酸 (DGLA)を生産する株(Δ5DES KO株)を樹立することに成功した(図1)。これらのゲノム編集されたParietichytrium属を用いることで、DHAやn-6DPA以外の有用PUFAを高い収量で微生物生産することが可能となった。
論文情報
掲載誌:Chemical Engineering Journal
タイトル:Transgene-Free Protein-Based Genome Editing in Thraustochytrids Enables Customizable Modulation of Long-Chain Polyunsaturated Fatty Acid Profiles
著者名:Yohei Ishibashi*, Ryuji Tanimura, Yusuke Ataka, Akito Kumagai, Daiske Honda, Makoto Ito, Nozomu Okino
DOI:10.1016/j.cej.2025.171156
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