火災から見えた文化遺産の真実性:パリ・ノートルダム大聖堂と首里城
ヨーロッパの中心で発生した火災は、人々の心に深い傷を残すと同時に、文化遺産に関する真実性の議論を巻き起こす契機にもなりました。パリ・ノートルダム大聖堂の火災の後、焼けた瓦礫の一部がインターネットで売りに出されたことがありました。専門家はそれが偽物であると断定したのですが、真実性(オーセンティシティー)とは、本物であるか否か、を判定するものです。
九州大学大学院法学研究院の河野俊行主幹教授とフランスの専門家たちは、脚光を浴びることとなった真実性を、焼け落ちた尖塔や小屋組みだけではなく、大聖堂全体の問題として捉えています。パリ・ノートルダム大聖堂の復元が完了した暁の真実性とはどのようなものなのでしょうか。
「パリ・ノートルダム大聖堂の復元における真実性の確保には、使用される道具から材料、工事の工程に至るまでの全ての要素が重要視されています。13世紀の中世の職人たちが用いた技能や建築技術、それを今に伝える徒弟制度が、大聖堂の復元には必要です」と河野教授は話します。
2019年4月の火災発生時、河野教授はユネスコの諮問機関である文化遺産の保存と保護に取り組む専門家団体 「国際記念物遺跡会議(ICOMOS)」 の会長でした。
「大聖堂を火災前の状態に復元することを望む意見が圧倒的に多かった一方、現代的な要素を取り入れてはどうかという声も強い支持を集めていました。そうした意見対立には非常に頭を悩ませました。またこれまでの経験から、有形文化遺産の修復には、目には見えない無形文化遺産が重要な役割を果たすことも知っていました。無形文化遺産とは職人の熟練技術や音響、歴史、文化的感受性といったものであり、それらの重要性を伝える機会を作りたいと思いました」 。そこで河野教授は修復や復元が持つ意義について、フランスの専門家の知見を交えながら、一般社会の理解が深まることを願い、展覧会を企画することにしました。
ちょうど同じ年に、沖縄の首里城正殿も全焼しました。河野教授は火災後の社会的反響の類似性に着目し、計画していた企画内容に首里城を加えました。そして、日本の専門家、ICOMOSフランス、パリ・ノートルダム科学ワークショップのCNRS(フランス国立科学研究センター)、パリ・ソルボンヌ大学とも協力し、ウェブ展覧会 「パリ・ノートルダム大聖堂と首里城―2019年の火災を超えて、復元と文化遺産の価値を考える」を立ち上げました。
それはさながら、美しく折られた日本の折り紙をほどくように閲覧できるつくりになっています。日仏二つのモニュメントの歴史と変遷、それぞれの修復の考え方などを、写真とともに詳しく解説し、重層的に考察しています。また、火災と被害状況、人々の感情、政治家の発言、真実性をめぐる議論などについて詳細な情報が掲載されています。
「文化遺産の分野での経験から、文化遺産の復元が持つ力を知っていました。文化遺産の修復や再建は、人々の心の傷を癒し、地域社会を再建する一つの柱となるのです」
しかし、ノートルダム大聖堂と首里城のケースでも、ほかに社会的により重視すべき課題があるのではないかという観点から、文化遺産の復元を優先することへの疑問の声も上がりました。
「文化遺産の再建に資金や資源を投入する理由について、社会の理解を得る必要があります。専門家がしっかり携わって文化遺産の保護に忠実な方法で復元が行われることで、地域社会に力を与える。そのプロセスに地域住民にも議論に加わっていただき、再建の過程を一緒に歩んでほしいのです」
河野教授は、ノートルダム大聖堂と首里城が並列して配置され、日英仏3カ国語で作成されたウェブ展覧会が、真実性についての議論を深め、広げてくれることを期待しています。
「日本は地震や台風、洪水といった災害が多く、それにより建物が崩壊することもあり、常に真実性の議論に向き合う必要があります。ヨーロッパでは、第二次大戦後ノートルダム大聖堂の火災まではそうした議論は稀でした」と河野教授は言います。ヨーロッパの中心で起きた火災は、人々の心に深い傷を残すと同時に、文化遺産に関する真実性の議論を巻き起こす契機にもなりました。「戦争や災害とは縁遠いとされてきたヨーロッパで、今日、戦争、火事、洪水が起こっています。それはつまり、悲劇的な出来事を経験した文化遺産の役割について議論する機が熟したとも言えるでしょう」
「真実性についての議論は専門家だけで行うだけのでは不十分です。社会の支持を得るためには、一般市民を巻き込んだオープンな議論が必要です。沖縄とパリ、どちらも復元・再建のプロセスを一般に公開しており、その様子を伝えるウェブサイトも開設されています。どちらも地域住民への働きかけを大切にしているのです」と河野教授は言います。
「ノートルダム大聖堂と首里城を一緒に紹介することで、知名度や歴史は異なっていても、この2つのモニュメントにおける火災が共通して私たちに何を教えてくれたのかを示したかったのです。それは、文化遺産が単なる建物ではなく、コミュニティの存在の延長であり、人類の文化の足跡そのものだということなのです」